職人魂
しっかし、暑いですね。。
昨日は各地で今年の最高気温を計測したようです。
群馬・館林で39度!! 溶けます。。
館林は十数年前ですが、お客様が居て、良く行っていた思い出の地です。
夏はこんなに暑かったかなーと、、、、もう遠い記憶ですが。
さて、本日は今年のアツイ夏の話を。
いよいよロンドンオリンピック開催まであと9日となりました。
なでしこジャパンや体操など、メダル取得が楽しみな競技が多々ありますが、
かつて、92年バルセロナ、96年アトランタ、2000年シドニーの3大会で、
日本の町工場で作成された道具が世界中のアスリートに選ばれ、
ことごとく表彰台を独占する事態となったこと、覚えてらっしゃいますでしょうか?
私も本日の日経新聞の文化欄を見て思い出したのですが、
そう、世界一の砲丸をつくる埼玉県の辻谷工業です。
まあ、会社といっても実質はオヤジさんの職人技でひとつひとつ手作りする、
芸術品のような砲丸です。
工業品であれば、通常はNC旋盤を使って、成形するのが一般的です。
しかし、辻谷さんの砲丸は全て手作り。
NC旋盤では制御できないミリ単位の重心の設定を、目と耳と手で行っています。
いや、もう、まさに芸術の世界です。
で、私が感銘を受けたのは、その実績はもちろん、そこに至る過程のお話です。
砲丸投げという競技では、選手は主催者が用意した数種類の砲丸から、
自分が使いやすいものを選び、競技で使用します。
砲丸の特性でもっとも大事なのは、重心が球体の真ん中に位置することらしく、
重心が1ミリずれるだけで、飛距離は1~2メートルも落ちる、とのこと。
で、最初に辻谷さんが砲丸を提供することになったが、88年のソウルオリンピック。
バルセロナの4年前の話ですから、既に辻谷ブランドが世界に浸透してたのかなと思いきや、
大会当日、辻谷さんの砲丸を使う選手は一人もいなかったのです。
そもそも、数種類あるとはいえ、オリンピックで採用される砲丸ですから、
それはもう厳しい基準をクリアした、世界の一級品のはずです。
辻谷さんもそれなりの自負を持って臨んだ大会で、誰一人、自分の作品を認めてくれなかった・・・。
これはもう相当な屈辱で(と本誌に書いてありました)、そこから改めて砲丸作りを勉強し直したとのことです。
12歳から父親の工場で働き、26歳で独立、このソウル五輪のときは55歳です。
ここから、今までの経験則・マニュアルを一切捨てて、数年を費やし一から学び直したのです。
ちょっと想像を絶します。。。
例えば異分野であれば、それまでの経験が通用しないので、まったく新しいチャレンジと割り切って挑める気もしますが、
昨日と同じ種類の物を作る中で(結果としては同じ物ではありませんが)、
数十年掛けて積み重ねてきたワザを全て自己否定したのです。
これって何なんでしょう。
ご自身は来年80歳ということで、後は息子さんに任せ、ご引退されるような記事でしたが、
ソウルの時の55歳という年齢だって、もう諦めていてもおかしくない年齢ですよね。
会社員だったら早期退職してる人、たくさんいます。
だけど、辻谷さんは諦めなかった。
今までのやってきたやり方を全て捨てて、本当にゼロから再スタートしたのです。
その結果、バルセロナ大会から3大会連続の快挙につながるわけですが。
まさに、日経記事タイトルの通り『職人魂の塊』たる所以でしょうか。
思わしくない結果が出た際に、それを外部要因のせいにするのはとても簡単です。
景気が悪いから、しょうがない・・・
仕事が忙しくて、勉強する時間がない・・・
禁煙したら、太っちゃって・・・
まあ、全て私ごとのちっちゃな事案の言い訳ですけど、、、
辻谷さんの記事を読んで、改めて自己否定というか自己改革の重要性に気づきました。
まずは、現在の自分のポジションをもう一度、見つめ直したいと思います。
ps
ちょうどDIAMOND onlineで、辻谷さんの記事が掲載されていました!こちら。
投稿者 Taka : 2012年07月18日 17:30