真実の見分け方
ここ最近、きまってAM4時に目覚めます。
・・・老化でしょうか。否。
寝るときはちゃんと布団に入って寝るのですが、途中暑くなって、布団から飛び出ています。まあ、暑さが原因で飛び出ていると思うのは推測で、もしかしたら誰かに剥ぎ取られてるのかもしれませんけど・・・。
近頃は朝晩がめっきり涼しくなってきたので、布団から出ている状態では体温が徐々に低下し、ある一定の段階で体内から警告が出て目覚めるのかな、と。そのタイミングが、ここ最近は4時なのかな、と。
でも、どんなに寒くたって、眠さが勝れば目覚めなさそうですよね。
雪山で遭難したときに「寝たらだめだっ!」ってやつです。
・・・うむ。
あ、就寝時間はだいたい22時です。
そーすると、6時間は寝てることになるので、睡眠時間としては充分なのかもしれませんね。
やっぱ老化ですかね。
さて、どーでもいいぐだぐだ話を書きましたが、真実は何なんだっ!?って思ったときに、真実への辿り着き方について思うところを書きます。
いや、結局のところ仮説→検証のループで定説を見つけていくしかないのかなと思いますが、そこの部分についての考え方を。
ぱっと思いつくのは、最近巷の話題をさらいまくった某特捜部の秘技と言われていたやつです。
さまざまな「真実」の可能性があるなかで、仮説(ストーリーとも言われてます)を立て、その整合性を検証していくのですが、検証がめんどくさくなったら、仮説が定説となるようなデータだけを揃えていくという大技です。
本来、仮説の検証で結果に疑いが残る場合は、また別の仮説を立てて検証していきます。定説になるまでひたすらこれを繰り返すのが、通常だと思います。
でも、刑事事件のように、時間的な制約がある場合は、定説に辿り着く前に時間切れになってしまうケースがあるので、仮説のままでも、あたかも定説のように提示したくなる気持ちも解らないでもありません。そこに至るまで相当な工数を掛けたろうし。
でも、立証できなかったら、やっぱそれはナシですよね。「疑わしきは罰せず」です。
いやいや、K察批判をするつもりではなくて(笑)、何が言いたいのかと言いますと、
人生の中で、相当な工数を掛けて行ったことでも、残念ながら自分が思い描くものとは全く違う結果が出てしまうことってありますよね。
もう、ほんと受け入れ難くて、掛けた時間ばかりか自分の人格まで否定されちゃってるんじゃないかと思いこんでしまうような結果になってしまうことが・・・。
でも、本当に大事なのは、その結果を受け入れ、次の仮説にどう活かすか、なのではないでしょうか。
それが、その人の価値だったり、組織の価値だったりするのかな、と。
ここでいう価値とは「成長」と表現されることかもしれません。
失敗を受け入れられないということは、成長を受け入れないということと同義なのかな、と。
こんなことを思ったのは、今朝4時に目が覚め、昨日ノーベル化学賞を受賞された根岸英一さんの記者会見を見たことが原因です。
――何が受賞につながったのか。「50年前に米国に移り住み、触媒の研究を始めた時、(無理難題に立ち向かう)ドン・キホーテのような気分だった。真実は誰にも分からないが、真実でないことを一つ一つ取り除けば真実に近付くことができる。その作業を厳格に続けてきた」
(情報元 2010/10/7 6:54 日本経済新聞 電子版 より)
50年か・・・。
我が社は、まだ、たった5年だものな。
日々、結果を受け入れ、成長のタネにしていきますっ!
投稿者 Taka : 2010年10月07日 15:45