成長の目的
もう春ですか?
ってくらい暖かい日がつづきますね。
ご無沙汰しております・・・。<(_ _)>
当ブログもすっかり「月記」の様相を呈してきましたが、諦めずに綴っていきたいと思います。(笑)
さてさて、Bizletは「成長志向」の会社だと自負しているのですが、
それはすなわち個人の「成長志向」にかなり依存している部分があります。
我々の属するソフトウェア業界はソフトウェアを扱う『人』そのものがコンテンツ(資産)です。
ですので、会社の質・付加価値を高めていくということは、
会社に携わる「人」の質を高めることと≒だと日頃から感じています。
そんな折、本日の日経新聞にピンとくる記事が掲載されてましたので、
長くなりますが、引用させていただきます。
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<引用>
2007年2月1日 日本経済新聞29面 経済教室
やさしい経済学-名著と現代 アダム・スミス 「国富論」「道徳感情論」
大阪大学教授 堂目卓夫 氏
[5]成長の目的
分業とともに、豊かさを増進するのは、資本蓄積である。資本家が資本を蓄積することによって、雇用される生産的労働者の数も増し、その結果、経済は成長する。
『国富論』は、このような経済成長の図式を示すのであるが、では、スミスは経済成長の究極的な目的は何であると考えていたのだろうか。『道徳感情論』で示されるスミスの幸福論を通して、この問題を考察すると、興味深い結論が得られる。
スミスは、幸福とは心が平静なことであると考える。そして、健康で、生活にとって必要最低限の富があって、良心にやましいところがなければ、それ以上の富の増加は、われわれの幸福にとって余計なものであると考える。それにもかかわらず、人間は他人からの同感を得たいという野心と虚栄心から、必要以上の富を求める。
しかし、豪華な食事も、美しい衣装も、立派な邸宅も、実際に手に入れてみると、それら自体は、たいした幸福の増進をもたらさない。それどころか、大きな財産を管理しなければならない煩わしさをわれわれに背負わせる。他人から得られるはずであった同感も嫉妬(しっと)や非難にかわることがある。
一方、生活にとって必要最低限の富すら手に入れられない人びとは、貧しいことの不便さにくわえ、他人から同感してもらえないという苦痛を味わうとこになる。自分は世間から顧みられないと感じることによって、彼らの希望は挫かれ、心の平静は失われる。
しかしながら、中流および上流の人びとが、より多くの富を獲得しようと資本を蓄積することによって、貧しい人びとに対する雇用が増大する。彼らは、生産的労働者となって賃金を受けとり、必要最低限の富を確保し、他人から無視されるという苦痛から開放される。彼らは幸福にとって十分な心の平静を手に入れる。
一方、より大きな財産を形成した人びとの幸福は、形成前にくらべて、ほとんど増加しない。こうして、富者と貧者の間で(富ではなく)幸福がより平等に分配される。
経済は、幸福に対する人間の幻想によって成長する。経済成長の隠された真の目的は、必要最低限の富すらもたない人びと、世間から無視される人びとに雇用を得させ、心の平静=幸福を得させることである。
「見えざる手」とは、貧困と失意の中で苦しむ人びとに自然がさしのべる「救いの手」なのである。
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どうのように感じられましたでしょうか?
私は現在の立場上、雇用を生み出す側の人間に分類されると思いますが、
弊社の仲間を単なる「生産的労働者」と捉えているわけではありません。
(もちろん、「生産的な人」であって欲しいのは当然なのですが・・・笑)
将来的には、雇用を生み出す人になって欲しいと強く思ってます。
そして、賃金だけでなく、働く「夢」や「希望」や「意味」も与えられる人になって欲しいと。
まずは、私の限りですが、今までの経験から得たスキル・手法・自身を、より若いメンバにできる限り伝えていきます。
そして、それが彼等自身の既知と融合し、さらに進化したビジネスパーソンになることを心から望みます。
それが、私の「成長の目的」です。
投稿者 Taka : 2007年02月01日 15:56